経営判断を鈍らせる”現状維持バイアス”とは?行動経済学で読み解く意思決定と組織改革のヒント

「このままでいいのでは?」 経営会議で誰かがそうつぶやいたとき、場の空気が一気に落ち着くことがあります。

意思決定の場面で、人はしばしば「現状を変えること」に抵抗を感じます。特に中堅・中小企業の経営者にとっては、変化にはコストがかかり、リスクもつきまとうもの。しかし、実はその“ためらい”や“先送り”には、れっきとした心理的なメカニズムが働いているのです。

それが「現状維持バイアス(Status quo bias)」です。 この記事では、日常生活でのわかりやすい例からはじめ、ビジネスの現場や新規事業、社内改革における意思決定をどうすれば前に進められるのかを、行動経済学の視点でひも解いていきます。

目次

現状維持バイアスとは何か?

現状維持バイアスとは、「今の状態を変えないことを過大に好む心理傾向」のことを指します。人は変化に対して漠然とした不安や面倒さを感じ、それによって本来は合理的に判断すべき状況でも、「とりあえずこのままで」と結論づけてしまうのです。

日常の例

クレジットカードの見直しを先延ばしにしてしまう

年会費が高く、ポイント還元も他社と比べて見劣りすると分かっていながら、「解約の手続きが面倒」「なんとなく今のカードに慣れているから」と、惰性で使い続ける。実は新しいカードに変えることで金銭的なメリットがあるにも関わらず、現状を変える手間や不安が上回ってしまう。

保険の見直しに踏み出せない

結婚や出産、転職などライフステージが変わったにも関わらず、「とりあえずこのままでいいか」と保険を見直すことなく継続してしまう。いざ見直すとなると複雑な情報収集や比較検討が必要になるため、脳はそれを避けようとし、現状に甘んじてしまう。

習い事や副業に「興味はあるけど始められない」

「英会話を始めたい」「副業にチャレンジしたい」と考えつつ、日々の忙しさや不安から行動に移せない。未知への挑戦にはエネルギーが必要で、結果が見えないものに対しては特に脳が警戒を示す。そのため、「今の生活に不満があるわけではないから」と理由をつけて現状維持を選びがちになる。

これらはいずれも、「今を変えたくない」「変える理由が足りない」という心理が背景にあります。これが現状維持バイアスの典型です。

なぜ人は変化を避けるのか?

悩む男性

この脳の三層構造理論は、アメリカの神経科学者ポール・マクリーン(Paul D. MacLean)によって提唱された「トライアニック・ブレイン理論(Triune Brain Theory)」に基づいています。マクリーンは、人間の脳が進化の過程で3つの層に分かれて形成されたと考え、それぞれの層が異なる働きを担っていると説明しました。

私たちの脳には「古い脳(爬虫類脳・哺乳類脳)」「新しい脳(人間脳)」があります。

  • 爬虫類脳:生命維持・安全・反射的行動
  • 哺乳類脳:感情・恐怖・喜び・愛着
  • 人間脳:論理・計画・創造・判断

私たちが「変化しよう」と考えるときには人間脳が働きますが、行動する段階になると、古い脳が抵抗してくるのです。

本能的に「変化=危険」と捉える

進化の過程で、変化には常にリスクが伴っていました。食料の場所を変えれば飢餓に陥る可能性がある。だから、脳は変化を回避するようにできているのです。

「現在バイアス」も一因

人は「未来の大きな報酬」より「今すぐの小さな報酬」を重視しがちです。ダイエットより今日のビール、将来の健康より今の快楽。この“現在バイアス”も現状維持バイアスを後押ししています。

ビジネスシーンでの現状維持バイアスの例

現状維持バイアスの例

ケース1 新規事業が立ち上がらない

新しい市場のニーズが見えているにも関わらず、「今はタイミングが悪い」「既存事業が安定しているから」「前例がないからリスクが高い」といった理由で、経営陣が新規事業への投資を先送りすることがあります。本来であれば、環境の変化を先取りして手を打つべきですが、安定した現在を手放すことへの抵抗が意思決定を鈍らせます。

結果

市場に先行していた競合に遅れを取り、後発参入せざるを得なくなる。その結果、先行者利益を享受できず、後手に回った状態でコストやリスクを負うことになり、競争優位を築くチャンスを逸してしまう。

ケース2 顧客ニーズの変化に対応できない

「この商品は昔から売れているから」「営業担当の経験則では今のやり方で問題ない」といった、慣れ親しんだやり方に固執する傾向が見られるケースです。特に中高年層の営業や商品開発部門では、過去の成功体験が現状維持を強化しやすい傾向があります。

結果

消費者の価値観やライフスタイルが変化していることに気づかず、顧客の支持を失う。結果的に競合他社に顧客を奪われ、ブランドは時代遅れの印象を持たれ、売上やシェアの低下につながる。

ケース3 組織改革・DXが進まない

「現場がついてこない」「今すぐ変えなくても致命的な問題はない」「忙しくて手が回らない」といった理由で、業務プロセスの改善やデジタル化が後回しにされることがあります。特に中小企業ではIT人材の不足や、システム導入に対する不安が意思決定を鈍らせがちです。

結果

業務効率が改善されず、属人化やアナログ業務が温存される。さらに、人手不足が深刻化する中で対応が追いつかず、若手社員の離職や採用難につながり、企業の持続的な成長にブレーキがかかってしまう。

ケース4 社内制度や評価の見直しが行われない

評価制度や人事制度が時代や価値観の変化に追いついていないにもかかわらず、「従来の制度で大きな問題は出ていない」「制度を変えると混乱が生じる」として放置されることがあります。管理職の評価基準も旧態依然のままで更新されないことが多く見られます。

結果

優秀な人材が制度に不満を持ち、他社へ流出する。残った社員もモチベーションを失い、生産性が下がる。長期的には企業の競争力そのものを損なう要因となる。

ケース5 取引先や仕入先を変えられない

長年付き合いのある取引先に対し、コストやサービス面で改善の余地があるとわかっていても、「関係性を壊したくない」「今さら切り替えるのは面倒」という理由で取引を続けるケース。担当者レベルでも、比較検討や交渉が億劫で、現状維持に甘んじることがよくあります。

結果

仕入コストの最適化が進まず、利益率が改善されない。新たなパートナーとの関係構築の機会も失われ、業務効率や成長性の面で他社に後れを取るリスクが高まる。「今はタイミングが悪い」「既存事業が安定しているから」と意思決定が先送りに。

 現状維持バイアスを乗り越えるために

現状維持バイアスを克服するには、単に「気合で変わろう」とするだけでは不十分です。大切なのは、無意識の心理を理解したうえで、行動に移せるように環境を整えることです。この章では、経営者や組織が今日から実践できる5つのポイントをご紹介します。

小さな変化から始める

いきなり組織や戦略を大きく変えようとすると、多くの社員や関係者が不安を感じ、強い反発を示すことがあります。現状維持バイアスを乗り越える第一歩は、“とりあえずやってみる”という姿勢です。 たとえば、「新しい業務フローを1週間だけ一部部署で試す」「仮の営業資料を使って数件だけ顧客に提案してみる」など、スモールテストを実施することで、リスクを最小限にしながら変化の成功体験を積み上げられます。

意思決定のフレームを変える

多くの企業では「やる/やらない」の二択で意思決定を行いがちです。しかし、この方式だと“やらない理由”のほうが目立ち、現状を守ろうとする心理が強化されます。 そこで、「A案とB案のどちらが望ましいか」「リスクとリターンを見比べて、長期的にどちらがメリットがあるか」といった比較型のフレームを導入しましょう。選択肢を前提にすると、現状もひとつの“案”として俎上に載せられ、客観的な判断がしやすくなります。

外部視点の導入

組織の内側だけで話し合いをしていると、共通の価値観や暗黙の了解によって、現状維持バイアスに気づけなくなることがあります。そうした“見えない前提”を揺さぶるには、第三者の視点が有効です。 経営コンサルタント、外部講師、アドバイザーといった存在を活用することで、現状の問題点や思考の偏りを客観的に把握できます。実際にくじらでは、行動経済学の視点からクライアントの意思決定に働きかける支援を行っています。

行動経済学を活かしたナッジ設計

人を動かすには、強制や命令よりも「自然にそうしたくなる仕掛け=ナッジ」が効果的です。 たとえば、「この制度を使って改革した企業の90%が生産性を向上させました」という“社会的証明”や、「この施策を始めることで、○○円のコスト削減が見込まれます」という“具体的なメリット提示”など、前向きな変化を誘導する表現を心がけましょう。

成功事例をチームで共有する

変化には不安がつきものです。しかし、「自分たちにもできそうだ」という実感が湧けば、一歩を踏み出しやすくなります。そこで重要なのが、スモールサクセス(小さな成功体験)の共有です。 たとえば、「新たなツールを導入して○○部の残業が20%減った」「1週間のトライアルで顧客反応が向上した」など、定量的・定性的な成果をチームで共有する文化をつくることが効果的です。これにより社内の心理的ハードルが下がり、現状維持から抜け出すムードが醸成されます。 「いきなり変えよう」とせず、第一歩を明確にする。「まず1週間だけ試す」「スモールテストを実施」など、変化のハードルを下げることで、古い脳の抵抗を和らげることができます。

まとめ

現状維持バイアスは、誰にでもある“無意識の壁”です。 とくに経営の意思決定の現場では、このバイアスが重大なチャンス損失につながることもあります。重要なのは「なぜ判断を先延ばしにしてしまうのか?」を構造的に理解すること。そして、そのうえで“変化を前提とした判断環境”を整えていくことです。
私たちくじらでは、行動経済学に基づいた組織変革や意思決定支援の研修・セミナー・コンサルティングを通じて、こうした「見えない心理の壁」を乗り越えるお手伝いをしています。


現状に違和感を感じたときこそ、変革のタイミングです。あなたの企業にも、行動経済学という“強力な武器”を取り入れてみませんか?

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    この記事を書いた人

    経営戦略、事業戦略、マーケティング戦略など戦略領域でスタートアップから大企業まで600社以上の支援実績を持つ。

    経営学、行動経済学などのアカデミズムの知をビジネスに実践的に取り入れたコンサルティングを得意とする。

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